FC2ブログ

爆走ストルイピンカ

□ 蒼き火花のアビゲイル 現代史・短編 □

蒼き火花のアビゲイル

 ABIGAIL McTIERNAN
 SHE WAS WHAT SHE WANTED TO BE
 墓石にはそう刻まれていた。

 チャーネルヴィル教会は、アメリカ中西部モンタナ州、カナダ国境から南へ30マイル、東にシエラマドラ山脈を望む位置にある。
 前任者の伯父のあとを継ぐ形で新たに赴任してきたジョン・エメット神父が、残された墓所の管理記録を作表ソフトに入力していると、ある一基の墓に関わるところで手が止まった。
 不明な点があまりにも多かった。被葬者の名前こそあるものの、生没年などの生涯記録や係累譜はない。管理費は規約どおり半年ごとに振り込まれているが、拠出者と被葬者の続柄欄は空白である。
 過去の記録を繰れば、アビゲイル・マクティアナンの名は1986年まで遡って見られるが、墓石の据え付け工事が施工されたのは1995年。既存の墓石の改装のための工事と見るのが自然だが、それ以前には管理費の払い込まれていた形跡がない。葬儀自体が執り行われた記録も探し出せなかった。
 几帳面な伯父にして、これだけの不備について備考の一条もないのは、むしろ自分の知らぬ方がいいことなのか。訝っている折り、振込み元の名義であるトーマス・グリーンなる者から、分厚い書状が届けられた。
 開封すると、そこに記されていたのは以下の内容であった。
 まず彼が1968年にこのチャーネルヴィルに生まれたこと。15のとき、地域福祉に尽力していた伯父と出会い、貧しい生活から救い上げてもらったこと。いまは家庭を築き、LAのグラデス街で、刑事訴訟を手掛ける法律事務所を共同で営むこと。
 そして本題に当たる、問題の一基の墓の設営にまつわる経緯は、一読驚くべき、そして容易ならざるものだった。


 (前略)
 これにつきましては、回りくどくなることを承知の上、自分の生い立ちから語らねばなりません。お忙しい師をして、これにお付き合いいただくことは甚だ心苦しいことながら、後のご判断の材料ともなろうことから、伏してそのお骨折りをお願いする次第でございます。

 私が生まれ育ったのは、ナラ川の河川敷のトレーラーハウスでした。それだけで、だいたいの暮らし向きはお分かりいただけようと思います。二年に一回程度、川は増水して、我が家の床を浸しました。
 父は軽便鉄道の保線工でした。正確には元保線工。彼は「事故で働けなくなった保線工」という職業がこの世にあると思っているようでした。粗暴ではありませんでしたが、酒飲みで個人主義者でした。狭いハウスのなかで幼い息子と二人でいて、なお個人主義者でした。私は七つのときには、髪を自分で切ることを覚えねばなりませんでした。
 母は私が四つのときに父と私を捨て出奔しました。記憶も情報もろくにありません。残された数少ない写真を見ると、右の鎖骨の辺にタトゥーが入っています。それが父以外の男の名前なのですから、父の私への無関心もそのへんに原因があった気もしますが、いまだその件は突き詰めて確認していません。
 母方の大叔母に、ウェルズ&ピーターソン商会を切り回すマーサ・ウェルズがいました。W&Pは、食料品や生活雑貨を商い、現在でも州北に何軒か展開しているはずです。私は学校にいるとき以外、そこで下働きの雑用をして、商品のおこぼれを受け取っていました。九歳でそれをはじめたとき、体は小さかったものの、年の割に目端は利いた方だったと思います。
 このマーサに関しては、いまでこそ私は別の見方をしていますが、当時は19世紀的な悪辣な経営者だと、子供なりの語彙で理解していました。
 生きることの困難は他にもありました。町にはクーガー団という少年ギャングチームがあって、学校でも外でも、顔を合わせるたび、入念に私をいびってくれました。彼らの敵はLGBTと有色人種、それにもまして我々のような貧乏人でした。彼らによる執拗な暴力と嫌がらせは、十五のとき、先師の働きかけで、その中心メンバーが更正施設へ送られるまで続きました。
 
 六歳から八歳にかけての頃には、家で餌をやっていた犬がいました。
 予防接種も役所の登録もしていなかったから、飼っていたとは言い難いのですが、ともあれ彼は、うちのトレーラーハウスの下で寝起きして、別の犬が現れれば我々が追い払いました。
 彼が車に轢かれて死んだとき、私がヘルガ荘の裏に埋めました。ヘルガ荘というのは、七区にある、大恐慌以前に建てられた古い平屋です。七区はシエラマドラ国立森林公園と隣接するブロックで、当時、道にはハイイログマ出没注意の標識が立っていました。ご承知の通り、面積こそ広いけれど、家はごくごくまばらです。
 ヘルガ荘の所有者はW&P商会でした。そのつながりがあって、その裏手にリンゴの木が生えていることを知っていました。ずっと昔から空き家だったから、永眠の地と見定めたのですが、私が九歳のとき、そこへ入居者が現れたというのです。
 私は様子を見に行きました。その家の裏手に柵はないので地権は目に見えない。もし差し障りがあったとしても、土から骨を掘り出せとは言いにくいものですし、頼めば墓の存続は許されるだろうと思っていました。
 手向けとして、線路の土手に咲く花を摘みましたが、持ち歩く路上でトラブルが発生しました。出くわしたクーガー団に奪い取られ、花は踏みにじられた。そしてお定まり一連の小規模な暴力と罵声がともないました。
 墓へ着いたとき、私のその一日の目的はすっかり変質していました。
 墓の土盛りの上には、野犬などが掘り返さぬよう、周囲からなるだけ大きな石を集めてありました。私は片手で掴めるぎりぎりのサイズを選び、反対の掌に何度も打ち付けました。そうしてクーガー団のジャスパー・ケインが、これからいきなり後頭部に受けるであろう感触を測っていました。
 彼らの振る舞いは、今更といえば今更のことなのに、なぜこの日だけ怒りと恨みが行動へと収束しかけたのか、後で思えば不思議です。墓前というロケーションに特別な作用があるようにも思われますが、とりあえず今は話を当時に戻します。
 石で打つ動作を繰り返している私の上へ、音もなく人影が落ちました。
振り返ると、三十台半ばぐらいの、黒の上下を着た細身の女性が立っていました。深い褐色の眼鏡に、髪をスカーフで覆い、白い大きな前掛け。片手でホウキを支えのように立てています。
 彼女は黙って私の隣にしゃがみこんで、頭を垂れ、土盛りの上に手を置きました。白くてほっそりしていて、荒い仕事をしてきたマーサの手とは違いました。
 小首を傾げたその顔には、鼻筋から頬にかけてうっすらとソバカスがありました。
「お墓?」
 私は黙って頷きました。
「どなたの」
「犬、です」
「大きな犬?」
 掘り起こせと言われるのを警戒して、私は心持ち大きめに手を広げました。
「その子、名前はなんていうの」
 話の向かう方向が分からなくなる。ただ彼女の声は、低くて聞き取りやすいトーンでした。
「クンタ」
「クンタ?」
「テレビの中の人の名前」
「何色の毛だった」
「白に茶のブチ。キャバリエの雑種って」
「尻尾は長い? 短い?」
「ふつう」
「耳は立っている? 寝ている?」
「放っておくと、寝てる」
「放っておくと?」
「そのまま放っとくと、ふさがって蒸れて耳の穴がバイキンだらけになるから、テープで上に留めて」
 片手で仕草をして見せると、彼女は頷きました。
「どんな食べ物が好きだったの」
「リンゴとパンケーキ」
 再び土盛りに目を落としたまま、彼女はくすっと笑ったようでした。
「その子、のんびり屋? それとも繊細なほう」
「すごく神経質」
「神経質?」
「知らないひとには夜でも昼でもギャワワワワワワワワワって」
 彼女はもう一度地に手を置き、あらためて顔を向けました。唇が微笑を刻みました。
「あなたには、なついていた?」
 頷いた拍子に両目から涙が零れたのに自分で驚きました。
「そこで待っていて」
 彼女は一度家に入ると、両手に抱えてきたものを手渡してくれました。頭に載るくらいの小さなリースと一掴みの青い切花でした。犬の墓に供えろという意味だと分かって、私は言葉を失いました。
それがヘルガ荘の新しい住人、ミセス・アビゲイル・マクティアナンでした。

 年の離れた著述家の夫と都会で暮らしていたが、死に別れて、静かな環境で遺稿を整理したい、とアビゲイルはマーサに告げたそうです。
 彼女はまず出歩くということがなく、食料や日用品は、商会が週二度の定期便で届けることになりました。
 その品々の質素なことは、運び入れていた私が一番知っています。衣類などはかなりの程度自分で手作りしていたと思いますが、デザインの保守的なこと、ワイエスのヘルガを通り越していっそバルビゾンのミレー風でした。よく見るとスラリとした長身なのですが、その服装とやや猫背の姿勢のため、実際より小柄で年嵩に見えました。
 ご存知のように、この近辺にはアーミッシュやメノナイトの集落があり、そこでは独自の戒律に従い、中世さながらの質朴な暮らしを送る人たちがいます。その姿にある程度の馴染みがあるものだから、アビィの生活スタイルもその流れを汲むものと勝手に受け止められました。
 内実はともかく、たしかに両者は外形上、似ていました。化粧っ気もなく、体形を隠し、髪を隠し、目から感情が発露することさえ眼鏡で隠していた。見せる表情といえば、せいぜいが会釈の微笑くらい。ほかの顔は私が見たことがないのだから、誰も見たことがないはずです。
 家を訪れると、いつも家事をしているか、書き物をしているか。家中が整頓されて清潔でしたが、潤いや彩りのために、飾りつけるということがなかった。どこかの修道院の厳しい規則をひとりで守っている印象もありました。
 いっぽう、何となく薄気味悪い女、という見方もウェルズ家の中にはありました。
 さっそく「ブラックウィドー」という仇名を奉ったのはマーサです。「旦那を殺した」という含意は後に分かりました。
 孫娘のクリスは、アビィの正体は吸血鬼だと言いました。地に落ちたアビィの影から、不気味な黒い陽炎が立ちのぼっているのを見た、というのです。これは七歳の子の言うことですが、実際誰も、何となくヘルガ荘へ足を向けたがらないから、いきおい十歳の私が、配達する係になりました。
 その任に着いてみて分かったことには、ミセス・アビィ・マクティアナンは、にこやかでもほがらかでもなかったけれど、まず実務的に、大変やりやすいお客でした。声は聞き取りやすい。文字は読みやすい。指示が的確で分かりやすい。機嫌が一定で、ミスをしても舌打ちされない、頭から叱り付けられない。自分の口に出した言葉は、わずかなことでも後から違えない。
 そして不思議に、何かにつけ私に親切にしてくれました。気候に応じて、レンズ豆のスープやレモネードを飲ませてくれた。樹に成るリンゴをいくつも持たせてくれた。
 私の境遇を不憫に思ってくれていたのは間違いないでしょう。それでも立ち入ってこちらの家のことを聞いてこなかったし、それを知るようなことも匂わせなかった。
 彼女は何も言わず、ただ取れたボタンをつけてくれた。靴底の穴に充填剤を詰めてくれた。自転車に乗っていてクーガー団につき転ばされたときは、台所の椅子に座らせて、あちこち窪みのある古いブリキの救急箱を開けて、肘に傷薬を塗ってくれたこともありました。 
 アビィに近寄ると、いつもほのかに石鹸の匂いがしました。何の修辞でもなく、それは本当にジョンソン・サニタリー社の大量生産で安手な粉石鹸の匂いそのものでしたが、いい匂いでした。
 そして出会って一年を過ぎたころ、事件が起こりました。不慮のアクシデントから、アビゲイルに命を救ってもらったその出来事を、私は日付にちなんで「イースター電線事件」と名づけたのですが、詳細は後述いたします。  
 それやこれやのうち、私は彼女がいよいよ好きになっていましたが、何故か、あまりその感情は表沙汰にすべきでないとも思っていました。
 大事にしているものほど取り上げられる、というのがそれまでの人生で得ていた教訓だったのかもしれません。実際、商会の大人の意向で、懲罰として、ことさら意に沿わない仕事にシフトされることも、ない話ではありませんでしたので。
 二年目の半ば、私が十一になると、アビィはマーサから新たな契約を取り付けました。
 私がヘルガ荘の周囲の、草取りや雪掻きなどの雑用をこなすことによって、W&Pにによる天引きは受けるものの、アビィの手から直接、現金をもらえる運びになり、これにより私は、はじめて継続的に「小遣い」というものを手に出来る身になりました。
「たかが小遣い」というのは、小遣いのない少年時代を経験しなかった人でしょう。
 私の場合、のちに好きになる本も雑誌も映画もレコードも、はじめてこのとき自分と関わりのあるものとして、目の前に現れました。
 そこから広い世界に出会えた、そして自分自身に出会えた、といっても大げさではないと思います。当時の私には、マーサから渡された複写式領収書用紙の束が、ロックフェラーが振り出した白紙の小切手帳にも見えたものです。
 そうして多くの時間をヘルガ荘で過ごすようになりましたが、屋内の用事をすることは稀でした。ただ一度、外から窓ガラスを拭いていて、アビィのデスクの上を見たことがあります。
 厚い書類束の一番上の文書は、文字こそアルファベットですが、見たこともない配列でした。文字だけでなく、図表らしきものもそこにはありました。
 クリスならそれを、悪魔を呼び出す祈祷書と魔法陣と言ったと思います。私にもそれは何故か、見てはいけないもの、そしてひどく不吉なもののような気がしました。

 この予感は、一年後に現実のものとなりました。
 1981年5月のこと、街中の雪は消えていたものの、まだ山並みは真っ白でした。
 12歳の私が、小口の配達から戻って来ると、マーサが表の客用駐車場を示して、
「さっきからFBIが待ってるよ。あんたのブラックウィドーのことで、あんたに聞きたいって」
 どこまで冗談か分からない、このぞんざいな言い回しが、いかにもマーサでした。
「いよいよ死んだ旦那の骨から砒素でも出てきたのかねえ」
 と何となく嬉しそうなのが余計に癪に障りました。
 駐車していたのは、変哲のない黒いワンボックスカーでした。
 そこには総勢四人の人員がいたようですが、車内で向き合って私の聴取にあたったのは、グレーのスーツを着た黒人の若い女性でした。
 ジェイミー・カーツウェル。名乗るとともに、IDバッジを見せてくれました。そこにあったのはFBIではなく、白頭鷲が十三の星を戴く国務省の徽章でした。
「ミセス・マクティアナンの話を聞かせて」
 それまで接してきた大人にありがちな、おどしたりすかしたりの口調ではなかった。
「辛いことかも知れないけれど、国益のために聞かなくてはならないの。私たちはそのために20時間かけて東海岸のワシントンDCから来ました」
 外見は違えど、声は違えど、よく似た話し方が、直感的に私に教えました。このひとは本来のアビゲイルがいたのと同じ世界から来て、いま彼女をそこへ連れ戻そうとしているのだと。それもおそらくはアビィの意に反する形で。私の頭を、アビィの机の上にあった外国の文字や図が掠めました。
 聴取の間を通して、このミス・カーツウェルは感じがよくて、不誠実であることには努力を要しましたが、私はそれをやり抜きました。知能の障害を疑わせるくらいの茫洋の装いの中に、向けられるすべての質問を散らしました。
 何枚もの何人もの女性の写真が、取替え引換え示されるのにも、曖昧に首を振りつづけました。
 何枚かに写っていた医者のような白衣の女性はたしかにアビゲイルで、彼女の前身の一端を告げるものでしたが、一部には理解しがたい写真もありました。
 それはただの写真というよりは雑誌の切り抜きに似ていて、映っているのは夜の墓場でした。
 背景に崩れかけのレンガ塀と死神の手のような枯れ木がありました。ブルボン朝の貴婦人のような衣装の二十歳くらいの若い女が、スツールに座るように墓石に腰掛けているのです。宙に浮かせた足先に金の繻子の靴をひっかけ、剥き出しの腕を伸ばし、手には人間の頭蓋骨を乗せています。自分の目よりも高く持ち上げて、暗い眼窩へと視線を投げる彼女の目つきは、淫蕩と形容されるべきもので、隠しもせぬ軽侮と嘲りを含んでいました。
 その感覚は何より手つきに現れていました。掌でなく手の甲に乗せているのです。ほんの数秒後には、彼女の軽薄な関心は移ろい、人間の尊厳の容器だったものが、転げ落ちて砕ける未来が予告されていました。足元にはすでに象牙のような白骨が散乱しています。
 あとで分かったことには、それはフランスのブランド香水の広告でした。まずありがちな話、「背徳の美学」やら「デカダンス」やら、「良識への挑発」やらの戯れ言から、こういう写真が世に供される仕組を、大人なら誰でも理解できます。ですが、その露悪的な絵面は、そのときの私を大いに驚かせ、かつ困惑させました。
 結局それさえも押し隠し、とにもかくにも茫洋の演技を貫いていると、やがてカーツウェルは根負けしたように、車のドアを開けました。

 他言無用を言い含められてはいましたが、アンクル・サムの言いつけより大事なものが12歳の私にはありました。
 半日間、いろいろタイミングを迷った末、父の寝ているトレーラーハウスを抜け出し、人目を避けてヘルガ荘に着いたのは、未明に近い深夜でした。
 表はおそらく見張られているでしょうから、裏から忍び寄りました。リンゴやカエデの枝が風に揺れ、見上げる空では星が輝いていました。遠くの森で、何かの動物が吠える声が聞こえました。
真っ暗な寝室の窓ガラスをこぶしで叩くと、小さいながらハッキリした返事がすぐに来ました。
「誰?」
「トーマスです」
「すぐ行くわ」
 そして実際すぐ裏口から出てきたアビィがどんな格好だったか、星明りだけを頼りに見ることは困難だったし、目を凝らすのが紳士的でないことも自覚していました。
 自然に見て取れるのは、彼女のシルエットの輪郭だけ。その影が、腕を伸ばし、町の方を指さしました。
「遠くから、誰かが訪ねて来たのでしょう」
 察しがよくて話が早いのが、ミセス・マクティアナンという人でした。
「そうです。写真を見せられました」
「どんな写真」
 私は言うと決めてきたことを迷わず言いました。
「貴婦人と髑髏の写真です」
「あれを、見たのね」
 そう言うと、黒い影がこちらに向き直りました。風が周囲の木々を揺さぶって、一瞬背に身ぶるいが走りました。
「どう思って?」
 そのとき彼女のシルエットから、陽炎が立ちました。どういう光の加減か、ほんのわずか白みはじめた東の空を背景に、黒い陽炎がゆらゆらと揺らめきながら立ちのぼっていました。
「その写真を見て、どう思って?」
 一歩踏み出されて、私は思わず後ずさっていました。後頭部が、軒を支える柱に強くぶつかりました。
 彼女は歩みを止めて、質問を変えました。
「その人たち、あなたに何を話したの」
「国務省が国益のため調べている、って。」
「それだけ?」
「それだけです」
 息を吐く気配とともに、立ちのぼっていた陽炎が鎮まってゆきました。
「僕に何か出来ることはありますか」
 言うと決めていたことをもうひとつ言うと、アビィはめずらしく声に出して笑いました。
「心配しないで、トミー。明日こちらから出向きます。連絡先、分かる?」
 もうそれは完全に日常会話の言葉つきで、何の大事もないと信じさせられそうになります。
 カーツウェルから貰ったメモをそのまま手渡しました。彼女の手は乾いていました。
 立ち去り際に彼女は言いました。
「こんな時間に駆け付けてくれて、本当にありがとう」
 向き合ったまま、肩にかけていた自分のショールを外し、私の肩へと掛け回してくれました。
 私には最後にもうひとつ、言わねばならぬ言葉がありました。
「アビィ、あなたは誰なのですか」
「いずれ分かるわ。何もかも」
 目を落とし、私の胸元で布の端を結びながら独り言のように、
「それを聞かされるのが、二十歳をすぎた大人のあなたであればいいけれど」
 意味が取れないで本当に茫洋としている私を、アビィは一度強く抱き寄せました。そして両肩に手を載せて額にキスしてくれました。そのときも彼女からは石鹸の匂いがしました。
 歩き出すと、雪を頂いた山並みの背後から、曙光の最初のひとすじが射そうとしていました。
 それがアビゲイルを見た最後になりました。


 さて、以下に述べますことは、私が直接関わっていない話です。専門外のこともあり、またもしご興味をお持ちなら、各種メディア上の情報も参照可能なことから、主観を排した簡略な記述にとどめたいと思います。
 師は「ミルグラムの服従実験」や「スタンフォード監獄実験」などと呼ばれる心理学上の実験をご存知でしょうか。
 任意の一個人が、何らかの権力の一部たることを自覚したとき、本来もっていたはずの理性的判断や日常の思いやりを捨て去り、下される命令に盲従するまま、他に対してどれほど無慈悲で抑圧的になりうるか。それを閉鎖した実験空間で、被験者に擬似的な権力を賦与することによって明らかにするものです。
 この種の実験は、70年代、米国の全ての心理学会で禁止されることとなりますが、そこに到るまで東部の大学・研究施設を中心 に、いくつか追試やヴァリエーションが重ねられました。
 今日これらの研究は、さまざまな角度から光を当てられ、また多くのフィクションの題材ともなり、それ以降を生きる我々が、人間の本性というものを考察する際、一抹の苦味を加えないではおりません。
 それあたかも先人たちが古代ヘブライのカインやダビデの堕罪に痛憤したように、今の我々は、この実験の被験者たちの軽率な過ちを、何度も繰り返し悔やまねばならない。さらなる痛みに耐え得ないと判断して、社会がその再現を禁じるほどまでに。
 この伝説的な研究チームの一角に、キャロル・メイと呼ばれる若い女性がいました。今でも斯界で引用参照される論文に彼女の名は見ることが出来ます。
 当時の彼女はふたつの点で知られる存在でした。宝飾品や香水のモデルとしてメディアを飾ったこともある美貌と、その出自です。
 キャロルは「東側」、鉄のカーテンの向こうの国からの留学生でした。これは彼女個人が優秀であるのと同時に、かの国における非常な良血であったことを意味します。
 R・レーガンのいわゆる「悪の帝国」とその属領の行政官にとって、体制と服従をめぐる問題は、学問以上に、今そこにある切実な関心でした。
 米国で実験が禁じられたその年、彼女は30で学位を取得してこの国を去りました。帰国したキャロル・メイことカロリーナ・マイエフスカ博士には、科学部門の、顕要で、大幅な権限を伴うポストが用意されていました。時代の要請を背景に、彼女はそこで、それまで手がけてきた研究を継続しました。
 党と史家が、前時代、つまりモスクワの桎梏に喘いだ50年代を総括するにあたって、システムの過誤と個人の過誤を、科学的に正しい配分で記述する、しうる、という時代の妄念が機運となり、彼女の米国仕込みの研究に道を開いたのです。
 何度かの小さな演習の後、やがて大掛かりな実験が企画されました。新たに舞台として選ばれたのは、地方の炭坑跡地でした。 その一帯で、彼女の母の一族は封建領主の末裔として隠然たる権勢を温存していました。もとより父は党幹部。そこでは彼女は何でも思うままのことが出来ました。「SHE DID WHAT SHE WANTED TO DO」。後にこのときの状況を説明するために繰り返される文句です。
 そして行われた実験は、おそらくご想像のとおり、大仕掛けなだけ、極端な結果を示すものでした。
 米国東部では架空の、単なる言葉でしかなかった電流が、いつからかどこからか運び込まれた設備によって、ここでは実体を得ました。
 持ち込まれた光で、坑道の壁に黒い影が丈を伸ばすように、恣意的な権威と権力と立ち上がり、束の間に取り返しのつかない爪痕を刻んだその上へ、さらに逆襲と報復が塗り重ねられました。
 50人の被験者を飲み込んだ坑道が、二ヵ月後に吐き出したのは数人にすぎませんでした。
 そしてその一部始終が観察対象として逐一記録されていました。
 実験後、すぐに坑道は埋められ、生き残りは散らされ、研究者の手元のデータだけを残してすべては葬り去られました。
 しかし、その四十数人の死者が、再び地上に呼び返されるまでそれほどの時を要さなかった。党中央での政変を受け、新体制の司直が徹底的な追及を行った結果、実験のおおよその顛末が明るみに晒されるのは五年後です。
 捜査の過程で、両親のマイエフスキ夫妻は服毒自殺しました。多少とも関係のあった役職者はすべて逮捕され、外遊中だったカロリーナだけが、携えていたトランク5箱の枢要な実験データとともに消息を断ちました。
 国の威信をかけてさまざまな探索の手を尽くし、当局が米国の一地方に潜伏していた彼女を特定するのに三年かかりました。
 かの国と米国との政府間での複雑な駆け引きのすえ、結局その身柄は故国に送還され、法廷へと引き据えられました。
 検察が、彼女の留学中の、二十歳の頃のモデルとしての写真をスクリーンに投射したとき、どよめきが起こったといいます。
 判決文にいわく、
「その実験がどんな結果をもたらしうるか、被告人ほど知っていたものがこの大陸中にいるだろうか」
「歪な権力が個人に憑依することの最悪の例証を、当法廷は、この実験のいかなる対象物にもまさって、主体の側に認める」
 臨時革命法廷はカロリーナ・マイエフスカに、絞首刑を宣告しました。罪状は国家反逆罪。死刑を廃した国での、それが唯一の例外条項でした。
 刑は、判決の翌週に執行されました。1983年6月。遺体は、産業用の炉で焼かれ、その灰は麻袋に詰められ、船から公海上に捨てられたと伝えられます。


 以上のことを私が知ったのは、1986年、ハリントンの寄宿学校で、イギリス人ジャーナリストのサイモン・ロジャースの取材を受けたことによってです。
 ロジャースは卑怯であり、同時にフェアでした。18歳の私の問いに、自分の口からは答えず、かわりにそれまで集めた資料のコピーを置いていきました。
 私はその日から50日間、勝手に休学して、そこに書かれた内容の裏づけを、いえ、正確にはそのネガティヴな裏づけを求めて歩きました。あちこちの大きな図書館に通い、それと並行して外国語の読める人を訪ね、ワシントンDCでは、国務省外交保安局のミス・カーツウェルに会ってもらい、事実関係に紛れがないことを知りました。
 そのとき私がどういう精神状態におちいったかは、ある程度お察しいただけると思います。
 どうするあてもないのに闇雲にバイクを走らせました。峠道の雨が、何度となくタイヤを滑らせ、よく命があったことと思います。ハリントンから州境を越え、ルート90を200マイル東進して、生まれ育った町の、あのヘルガ荘へたどりついたのは、日付をまたぐような時間帯でした。
 無人の空き家と思いきや、垣根は破壊され、クンタの墓の上に派手なオープンカーがとめてありました。
 台所から騒がしい音楽が漏れています。そっと覗いてみると中は荒れ果てていました。壁のスプレーの落書き、散乱するビール瓶。かつてそこに住んだ女性が磨きこんだ柱はダーツの的にされていました。
 見回すとその場には四人の若い男が、思い思いの格好でたむろしていました。クーガーカブスという連中でした。「次世代のクーガー団」という意味で、年齢はみな私より二つ三つ下でしたが、下劣さでは先達にひけを取らなかった。そして私からすると、年下の人間に囲まれる特別な屈辱感を教えてくれた相手でもありました。
 生理的な反応が起こりました。激しい怒りを表すときの定型句にすぎないと思っていた現象が、自分の身に本当に現れました。
 私は電気のブレーカーを落とすと、窓に姿が浮かび上がらないよう、闇の中を、腰をかがめて進みました。
 彼らには酒が入っていて動作が緩慢だったこともあり、まずスタンガンを奪い取ると、制圧は簡単でした。ケイン弟、ロビンス、シュルツ、ジマーマン。彼ら四人、誰も死にもせず大きな後遺症さえ出なかったのは、幸運に感謝するとともに、自分の身体の非力を恥じるところでもあります。
 それでもスタンガンのバッテリーは底をつき、与えた衝撃で私の拳の骨は両方折れていました。
 その手で最後の仕上げとして、彼らの乗ってきた車、ポンティアックのローライダーのシート一面にガソリンを撒いて火を放ちました。前髪や顔の産毛を焦がす大きな炎が闇の中に立ちました。

 両手に添え木をした私を、警察署の留置檻から請け出してくれたのは、やはり先師でした。
 六十手前でいらしたと思います。ヘレナ教会区の主任司祭になられるという声もあった頃と記憶します。
 礼拝堂で、私は先師に一切を打ち明けました。ちょうど聖ジョージのステンドグラスがつくりかけの時期でした。長い物語は、夕食 後の時間帯から、深夜にまで及びました。
 まず自分にとってアビゲイルがどういう存在だったか。内容は基本的にここまでにお読みいただいたことです。
 降ってくる電線から、彼女が身を投げ出して私を庇ってくれたというくだりで、先師が一度、窓ガラスに映るご自身の姿をごらんになったのを覚えています。
 そしてキャロル・メイをめぐる事実。私は資料の一式を先師に差し出しました。
 先師が紙を繰っていくその手つきに、彼がおぞましさに耐え、冷静さを必死に保っているのが私にさえ分かりました。そして口をついたのはラテン語の聖句でした。手を組み合わせての長い詠唱を終えると、ゆっくりと言いました。
「ミセス・マクティアナンという方の徳は、忘れられるべきではない。お墓を立ててあげなさい。その気持ちがあるなら、この教会に場所を提供しましょう。そのかわり…」
 先師の語勢がそこでハッキリ変わりました。手元にあった資料をまとめて封筒に押し込み、投げ出して指で押さえました。
「こっちのキャロル何某という名と、それに付随するすべての事柄は、完全に忘れなさい。この資料もすぐ破棄するべきです。持っていると、魂の問題として、非常に危険です」
 息つくひまもない一気呵成で、私はその勢いに呑まれかけました。
 先師のおっしゃる「切り分け」は、私もまったく考えないことではありませんでした。しかしそれはあまりに手前勝手なご都合主義というものに思えました。私は反論しました。
「ビスケットの焦げていない面だけを食べればいい、と」
「トーマス、比喩を弄んではいけない」
「過去の彼女がいたからこそ、あのときのアビゲイルがあったのではないですか」
「その人は、ここへ来たとき、著述家の夫と死に別れた、と過去を語ったのでしょう。ならばそれが彼女の過去です」
「詭弁だと思います」
 手に封筒をかざすのが、非礼な強い仕草になっていたかも知れません。
 先師は悲しげに、
「君たちはすぐに過去、過去という。人はそれほどやすやすと過去に規定されたりなどしない」
 大きな手で、包帯を巻いた私の手に触れました。
「キャロルを分析するのも糾弾するのも、そのジャーナリストのような世界中何万の人に任せておきなさい。君の仕事はそちらではない。汝、裁くなかれ、裁かれざらんが為なり。トミー、君の将来就きたい職業は何でしたか」

 この先師のお申し出をどう受け止めるかで、私は何年も揺れに揺れました。
 90年代になって、東西の隔たりが埋まると、私は一度かの国をたずねました。
 かつて炭田のあった、草も木もない荒涼とした谷には、鎮魂碑がポツリと立っていました。
 もう4月というのに、碑銘は固く氷雪を纏って読まれることを拒み、捧げた献花はものの5秒で風にさらわれました。来るべきではなかったとも思いました。
 何もかも忘れたいと思った時期さえありました。その目的で、何度となく酒瓶へ手が伸びたのは、やはりあの父の子だったというべきでしょうか。
 長い葛藤のすえ、天秤が最後にどちらに傾いたかは、ご存知の通りです。
 私が結局、それをお受けした心の動きは、もはや理屈とは呼べぬものでしょう。まずエレーン、今の妻になった女性が、大略の話を呑みこんだうえで賛成してくれたこと。そして何より、先師のお申し出そのものが、無にするには大きすぎると気づいたがゆえです。
 先師にとって、それは単なる墓所の一区画の問題ではなかった。自らの管轄下に抱えるその墓の存在は、素性を詮索されれば、彼の聖職者としての輝かしいキャリアさえ突き崩すおそれのある爆弾に等しいものでした。
 折しも、ヴァチカンは直近のコンクラーベにおいてかの国の人を選出し、キャロル・メイの墓を許さなかったその政府と、全ローマカトリック教会とは、それ以前にも以後にもないほど親密に接近していました。
 その状況での危険な決断を、先師はあの場で即座になさったのです。その重さにようやく思い至ったのは、恥ずかしながらロースクールを出て法律事務所で働き出した一年目、27歳になっていました。
 そのときまで得ていた賃金で、私は先師が十年も空けてくれていた一角にアビゲイルの墓を立てました。五月の晴れた日で、その周囲では春草にまじって、綿毛をつけたタンポポがそよいでいました。
 その位置が、本当に私が子供の頃からよく知る町の人たちと同じ並びだったのには、さすがに少し苦笑を催しました。右隣は製乳業のミスター・ミラー、左となりは理髪師のボナッセラ夫妻と記憶しています。もっとも私が購入した墓石も、ありふれた規格品でしたが。
 あの墓石の下には、棺のかわりに、ショールを納めたケースが埋めてあります。


 長々と述べてまいりました。いま少しだけお付き合いください。
 最後に、先に触れました「イースター電線事件」について、どうかお聞きいただきたく存じます。私の人生の転機となったところのものです。
 それは十歳の頃、忘れもせぬ1978年4月7日の昼さがりのことでした。
 低気圧が北のカナダ国境を通過していくところでした。雨は降っていませんでしたが、風は強いので、自転車ではなく歩いてヘルガ荘まで配達に行きました。
 私とアビゲイルは、柵の前で、商品と代金をやりとりしていました。天気に関わる話など交わしたと思います。
 財布をショルダーバッグにしまったところで、彼女が突然体をぶつけてきました。ものも言わずの、いきなりの体当たりです。当たると同時にそのまま凄い力で脇へと押しのけられました、いえ、なぎ倒された、というべきでしょう。まだ小さかった私の体は、前に手をついた格好であえなく砂利道を滑りました。
 何が起こったのか分からない私の上を、眼も開けていられないほどの突風が一陣、砂煙とともに、かなり長い時間を掛けて吹きすぎていきました。
 倒れたまま首をねじって見上げると、砂ぼこりの向こう、まさについ今まで私がいた位置に、アビィが背をむけて立っていました。 両足を軽く踏み開き、長身の背をすっきりと伸ばして、アッシュブロンドの長い髪と、スカートの裾が強風に靡いていました。
 そして伸ばしたその右手には、飛んできた電線を掴んでいます。鎌首を押さえられた蛇のようにケーブルは身をうねらせ、その頭に相当する箇所では剥き出しになった先端が青白い火花を発していました。
 道の反対側に立った電柱から、風に千切られた電線が、ほとんど横なぎになって飛んできたのだ、ということがそのとき分かりました。
 それから体ごとゆっくり振り返ったアビィを見て、私はいっそう驚きました。いつも着けていた黒眼鏡はスカーフとともに跳ね飛ばされたのか、彼女は素顔のままで風に眼を細め、その白い頬から顎へかけては一筋の真っ赤な血が伝っていました。顔の近くでケーブルがなおも火花を散らしています。
 ケーブルが完全に動きを止めるのを待って、アビィは電線を安全な方向に放り捨てると、頬を流れる血にも気づかぬげに、私に近づいて手を差し伸べました。
 そのときはじめてまともに見た彼女の両の瞳は、深い緑でした。彼女は私を引き起こすと、背に手のひらを当てて、
「風が収まるまで、中で休んでお行きなさい」
 と言ってくれました。
 突然見知らぬ女性に変わったようでも、声はいつものアビィで、そのとき妙に安堵したのを覚えています。
 私はこの出来事を、さすがにその晩家で父には話しましたが、酒に濁った頭に引き起こされる反応はやはり鈍重でした。
 事件そのものはこれで終わりです。電線は翌日、繋ぎ直されました。アビィの頬の傷は大事なく、次に訪れたときにはいつもの色眼鏡とスカーフ、やや猫背のスタイルに戻っていました。
 そのまま何も変わらず日々は流れました。私に与えられていたのは、相も変わらぬ父のほかは、W&P商会の雑用と、また例によってのクーガー団です。
 けれど私の目の底には、あのとき、逆巻く雲を背景に見上げたアビゲイルの姿が、青い火花によってハッキリと焼きつけられていました。
 間違いなくあのとき彼女は、八千ボルトの電圧のかかった、うなりを上げる電線の前に、一瞬も迷わず身を挺してくれたのです。幼い私の中で、半年ほど掛けてようやくその事実は、ふさわしい重さにまで育ちました。その祝福、その恩寵。誕生日に振り分けられた守護聖人などものの数ではない、といえばお叱りを受けましょうか。
 少なくとも私にとって、あの日あの瞬間のあのひとは、白銀の甲冑を身に纏い、創世記の蛇に立ち向かう熾天使でした。ラグナロクの雷光に照らされながら、命も惜しまず敵に挑むヴァルキリーでした。
 それから二年後のあの別れの日まで、ついにあらたまった、ふさわしいお礼の言葉は探し出せなかった。言えなかった。その点、年齢以上に幼かったのですね。もちろん悔いてはいますが、日々の態度の端々から感謝と親愛の気持ちは伝わっていたものとも信じています。


 お心を動かしたいばかり、些末で感傷的なことを、恥も顧みずお耳に入れました。
 あの一基の墓について、私が知るところは以上ですべてとなります。
 さて私儀、ただいま関わっている公判が決着を見ましたら、師のご都合をうかがった上、今月中にも一度チャーネルヴィルへ参上したいと存じます。
 懐かしいシエラマドラ山脈を望みつつ、先師の思い出話を交換させていただくことを楽しみにしております。
 その際、無理を知りながら、なおアビゲイル・マクティアナンの墓の存続を、あらためて師に懇請する所存でございます。
 しかしながら、師におかれまして、ひとたび撤廃のご決裁あるときは、速やかに他所への改葬の手続きに及ぶことをお約束申し上げて、ここに筆を置きます。


                             Respectfully Yours Thomas Green


* 「蒼き火花のアビゲイル 現代史・短編」目次へ戻る
*    *    *

Information

Date:2016/02/15
Trackback:0
Comment:0

Comment

コメントの投稿








 ブログ管理者以外には秘密にする

Trackback


+