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□ 磐縒姫(いわよりひめ) 現代伝奇短編  □

磐縒姫(いわよりひめ)

「武州霞山城の天守に、磐縒姫なるものの棲まう。春秋長じ、性は峻刻狷介、ただ藩侯城主のみ、これに咫尺を得る」/『坂東百物語』

「弘化三年閏五月、式部少輔殿、御継嗣のかくれたまひしに、鏡櫛紅、三器の儀もて、天守は巌撚の間へ参籠、一念通天、失せびと三途関頭より帰り来たり」/『霞山藩譜』


21:42

 行方不明の小学四年の女児の姓が「設楽」と聞いて、霞山警察署は、当初から、あらたまった対応を取った。
 設楽家とは、旧城主で明治の県令、今もなお市内外に多くの地所を有し、要職者を輩出している権門で、副署長・設楽祐一警視もそのひとりであった。
 捜索を願い出たのは、女児の母親、副署長の従妹にあたる四十五の婦人で、系図からいえば七万石の最も正統な後裔だという。
 この地ではすべての機会に上座を譲られるという彼女だったが、新任の若い署長にとっては、今日このとき、署長室にての応対が初の顔合わせになった。
 差し出された名刺には、「変わらぬ美しさを求めて/日本ヴェルメイユ化粧品/取締役・設楽彩香」
なるほど話ぶりは理路整然としているし、身なりは相応、物腰も上品だったが、ただひとつ残念なことに容貌がまずかった。
 ひととおりの話を聞き、丁重に送り出した後、署長は、同席の副署長にいくつか確認すべき事項を質した。
「ヴェルメイユにお勤めなのだな」
「ソルボンヌで化学を専攻しまして」
「ふむ。で、その子の父親というひとは」
「彩香は独り身です。百合の生みのふた親は、遠縁のものでしたが、五年前、自動車事故で亡くなりました。引き取って養女にしたんです」
「複雑な家庭の事情、かね」
 キャビネットに並んだファイルに目を投げて、署長が重々しく腕組をするのを、設楽祐一は言下に遮った。
「違う。あれはそんな人間ではありません。このことは、そういう話ではないのです」
 年長の部下は、それきり背を向けて、窓の外、間近に黒く聳える霞山城天守を見上げていた。


22:30

 城下公園の一角で、持ち物のポーチが発見され、その周辺から「ひとりで歩いていた」という複数の目撃情報も上がってきた。
 一帯の監視カメラの映像を解析した結果を受け、警察は、城の中曲輪を中心とする延べ面積四千平方メートルに範囲をしぼり、三次元的捜索を展開した。
 幸い濠は涸れている。昼間は観光バスがとまる駐車場に県警の輸送車が並び、警察犬は地面を嗅ぎまわり、動員された鳶組の男たちが、そこここで瓦屋根を踏んだ。
 時ならずしてライトアップされた天守に、濠端で多くの市民が立ち止って見上げた。


23:06

 風が雨を孕みつつあったが 設楽彩香は書院入口に立ちつくしていた。
 手に握られているのは、今朝まで娘が持っていたGPS端末。
 だいたい娘は、感情的な脆さが目立つ子だから、少しは幅がきくように、やれ誕生会のクリスマス会のと手厚く出費してみれば、何のことはない、百合はそれらのモノの力を借りて、強い子に取り入り、弱い子をいじめていた。
 聞いて涙が出たのが初めてなら、手を挙げて頬を打ったのも初めてで、家を飛び出して行ったのが今朝のことなら、とどのつまりがこのとおり。

「彩ちゃん」
 雨が強くなってきたところへ、後ろから傘をさしかけられた。
 彩香が会釈すると、設楽祐一は無言でクリップボードの写真を差し出した。
「3階床/C7」という注釈がある。図上、鑑識によってマーキングされた19センチの靴跡の列。それが広間の中央でいきなり途絶えている絵面の異様さ。殴り書きの「!?」は、鑑識係員の心の底からの悲鳴だろう。
 だが設楽の人間にとっては、それは初めて聞く話でもない。
「兄さん、力を貸して下さいますか」
 彩香が驚く風もなくハンドバックから取り出した桐箱を見て、思わず背筋が伸びた。
 重要文化財指定の和鏡である。
 四十年前これを最後に見たときの光景が、祐一の脳裏によみがえった。
 昭和四十六年、この地でただ一度、十一月に積雪を見たまさにその日、祭儀は執り行われた。
 いまは亡き十五代当主の伯父のあとについて、供奉の稚児役として、十の自分と六歳の彩香が、三器の載った折敷を、捧げ持って続いた。
 櫛と鏡が、降る雪に半ば覆われても、紅だけは雪を溶かし、かえって自らを際立たせた。
「これから櫛と紅を用意してきます。こちらでも段取りをねがえますか」
「出来ることはする。しかし紅は…」
 ただの紅ではない。単純な色味だけとっても、他では見たことがない。家伝の漆器に入っていたが、あのとき最後のひとすくいまでが献じられ、その後どうなったのか。
 彩香は答える代りに、ただかすかに笑った。
『そのことなら大丈夫』
 見慣れた従妹の顔に、不意に伯父の面影が重なった。


23:42

 彩香が最初に立ち寄ったのは病院だった。
 専用直通のエレベーターに乗り、厚い絨毯を踏み、一番奥の個室のドアを叩く。
 華とレースに囲まれたベッドで、テレビをつけたまま、母はクッションにもたれていた。
「遅くにごめんなさい」
 返事はない。ただ画面のボリショイバレエに見入っている。もう何十度目か、ジゼルを裏切るアルブレヒトの不実に唇を噛んでいる。
 彩香はベッドの縁に座り、ハンカチで母の額の汗をふき、前髪のほつれをヘアピンで止めた。
 その艶のある肌 黒い髪。
 いまのこの母の内面を、何歳相当と見るべきかは知らないが、容姿だけは、間違いなく若い。社の広告に起用する同年代のタレントなどよりも。
 それもそのはず。彼女こそは、その花も盛り、町中が熱狂したシンデレラ・ストーリーのヒロインだった。
 生まれ育ったのは、決して裕福でない家庭。縫製工場のお針娘が、一世一代の運命のいたずら、経営者一族のプリンスに見そめられ、婚礼の日には、オープンカーにのって紙吹雪の中、目抜き通りをパレードした。
 この日のウェディングドレスが、彩香誕生の折、バレエのチュチュに仕立て直されたことまでを、当時の地方紙は報じている。
 黄ばんだモノクロ写真の中、誇らしげにそれをひろげる母の瞳では、少女時代の夢が原色の花弁を開き、それがため、ひとつ簡単なことが見えていなかったのだとしか思えない。
 七歳の誕生日、トゥシューズとともにそれを差し出されて、それから三年間、疑いもせず、週四日の厳しいレッスンに耐えた。
 その彩香を、発表会の当日、市民ホールの楽屋の隅で待ち受けていたのは、絢爛なチュチュを着た猿の落書きだった。
 誰をあらわしているかは一目で分かった。その位置を一歩も動けぬまま、なすすべもなく膝が笑い続けた。
 さすがに自分の容姿は知っていた。そのうえで、そこまで彩香の胸を抉ったのは、それがそのまま新聞の政治面にでも載りそうな、洒脱な大人のタッチだったことだった。
 壁はその日のうちに左官が塗り替えたが、損なわれたものは戻らなかった。
 母娘の修羅場が幕を開け、続けるやめる、逆らう逆らわないの押し問答の果て、それだけは言うまいと思っていた陳腐な文句が口を突いた。
「どうしてもっと…」
 飲み下した後半は、実際口に出したも同じだった。
「お前が勝手に…」
 それに続く母の言葉を、まさしく自分が容易に想像できるように。
『お前が勝手に、不細工に生まれてきたんじゃないの』
 感情のままそう言い返さなかったくらいには、このひとも大人だったのだ。
「お母さん、少し借りるわね」
 両手を伸ばし、母の頭から櫛を抜くと、思いのほか白くなった髪が背へと流れた。


24:10

 関越自動車道を、都心へとひた走る。プジョーRCZのフロントガラスに雨滴が弾け、ワイパーの域外にオレンジの照明が滲む。コンテナトレーラーの縦隊を、縫うように躱して前へ出る。
 アクセルを踏み切ると、右膝の古い傷がかすかに痛んだ。30年も前、ハードル競技中に痛めた傷が、雨の日に負荷をかけられるといまだにうずく。
 あの怪我なかりせば、という後悔も、気がつけばいつ以来か。
 陸上に打ち込んでいた中学の夏の日。
 もうお仕着せの習いごとは、バレエだけてなく、華もピアノもやめていた。
 ここは目に見える実力の世界。外見も家柄も関係なく、抜き去られた者は、ただ黙るしかない。
 それが、放課後の自由になる恵まれた子供の理屈、とはまだ気づかなかった。
 何本かの白いテープを切り、県内の強豪高校からお呼びがかかったところで、右膝靭帯が壊れた。
 高価な最新治療も、医師の宣告を覆さず、憧れた紛れのない世界は、まさに垂直の岩壁のように身じろぎもせず自分を拒んだ。

 ギブスが取れて早々に、転機は訪れた。
 家の蔵を訪ねて、ひとりの大学院生の青年があらわれた。明治のアマチュア博物学者・設楽精慧の集めた鉱物や昆虫の標本修復を任されたという。
 三階五層の複雑怪奇の構造を、幼いころから遊び場にしていた彩香が手を引いた。
 彼がアタッシュケースを開き、標本を展翅する繊細な手つきに、彩香は息を詰めて見入った。
 このモルフォ蝶の青をね、すり潰して外へ取り出そうとした者は大勢いるけれど、誰も成功しなかった。何故だと思う? 彩香さん。
 彼が来春から霞山女子に奉職すると聞いて、そのとき彩香の進路も決まった。入学式の日、彼が顧問を務める新設の地学部へ入部届を出した。
 おそらく最初で最後の、激しくも淡い感情だった。それ自体はどこにも結実しなかったが、鉱石を砕いてフラスコを振った三年の時間が、ひとりの人間の行く末を固めた。
 その後、筑波に六年、パリ第Ⅵ大学に六年、サン・エティエンヌ研究所に十年。

 6区のラグランジュ街に「Le club des couleurs perdues(失われた色クラブ)」というサロンがあった。
 人生の宿題として追い求める工芸的な色がある。それが会員の条件だった。
 フェニキアのティリアン・パープル。セネガルの丹の橙。宋代の青磁の釉薬。エル・グレコの緑。チャンカイ文化の織物の白。
 色そのものの講釈は多く聞かされた。その由来。その希少性。そのはかなさ。
 だが今はそれよりも、彼ら各々が抱えていたであろう一人称の物語が気にかかる。ひとりの人間がある色を追うに先立って、その色が人の心を捉えて囲い込む、その機微をこそ聞いてみたかった。
 彩香の「運命の色」は、あの雪の日を最後に、失われた紅の色だった。
 再現の試みは、高校時代にまでさかのぼる。
 ふとくぐった山門は、果てのないつづら折りの入り口で、それから今にわたり、和漢洋の原料と、最新と最古の技法を、取り替え引き換え、実験台に乗せた。
 古い家も古い街も好きでなかったはずなのに、なぜ家伝の紅。自分はただ出来ぬことに対し、意地になっているのか。
 迷いながらもデータは積み重なり、年を経るごと、紛れの水分は飛びゆき、求める紅色はますます眼の底で鮮やかになっていった。


25:07

 プジョーは、江東区・ヴェルメイユ本社研究センターの地下駐車場に滑り込んだ。
 何重もの個人認証をくぐり、三階の自室に達する。
 金庫を開き、シャーレを取り出した。
 てのひらの上、四十年ぶりにこの世に現れた紅色が光る。
 常温で安定が確認できたのが実に一昨日のこと。四十年。正確には、あの雪の日から、39年と180日。
 書き連ねてきたヘキサの羅列は、ついに収斂した。
 はじめてHPLCの蓋を取った瞬間から、成ったという確信はあった。
 そう。成ったればこそ、自分はいま、このタイミングで、こうして呼ばれているのだ。紅の本来の主である化生の存在から。
 と同時に、これは警告でもある。
 価値と占有をめぐる不易の関数をここにも見ねばならない。
 新製品の第三者への提供禁止は、業界内、あるいはVIPとのオーダーメイド契約としては格別珍しくもない話だ。
 かつて疑い深いクライアントのもとへ、製法データの紙ファイルを丸ごとトラックで搬入したこともある。
 ともかくも、そこだけは技術の進歩、たった一枚のSDカードをバッグにしまいこみながら、思わず溜息が出た。一段落したら、役員規約の「背任」の項目を熟読せねばならない。
 帰りの廊下で、懐中電灯を手にした守衛と行きあった。
「夜分お疲れ様です。ご用は済みましたか」
「ええ、ここでは。ありがとう」
 敬礼しようとする彼の所作を押しとどめ、半ば無理やり、自分のIDカードと施設の鍵一式を、その手に握らせた。


26:15

 霞山城の雨は上がっていた。喧騒は去り、静寂の中、祭儀は始まっていた。
 篝火が、白壁に長い影を落とし、人間そのものさえ影絵芝居のように物を云わなかった。
 当主を先頭にした行列は、玉砂利を鳴らしながら、白い蛇のように郭内をうねり、要所で尾を切り離して進んだ。
 中核の六人だけが天守の扉をくぐり、最後まで隋身した稚児二人も、第三層への階段の手前で、役目を終える。
 ここからがソロパート。
 彩香は、幼きものたちを目顔でねぎらいながら、四十年前、見送った父の背を思い出した。

 三層目では、一部で観光順路をなぞる。
 壁には、歴代城主の肖像や系図などのパネルが並び、反対の壁には磐縒明神の由来が説かれている。
『霞山の地祇・磐縒の起源は、元和二年の本城築城に先立ち、遠く神代にまで遡ります』
 この関東平野の片隅に、ようやく人の生活の煙が立ちのぼり始めた原初の時代。
 足を止め想像してみる。
 その頃、化粧は神事に属し、祝祭のときだけ、ひとはその余分にあずかり得た。いま頬に乗った伝統の白粉は、不自由な時代に似て鈍く重い。
 それから何と多くの時が流れたことか。
 今日、人は地に満ち、自らを彩る色を千万となく溢れさせた。ただひとつの神の色を、尽き果てるにまかせたまま。
 神の嘆きはいかばかりか。
 天を覆い、地を裂くかわり、「彼女」の指は、ただ因縁の糸を静かに手繰った。
 その結果。
 失われたものを正しく補給するため、系図の上に置かれたチェスの駒。それが自分というものの意味ではないのか。あたかも城の基礎に組み入れられる一石のように。あるいはヘキサの一角に配される原子のように。
 最上層への階段へ足をかける。
 それならばそれでもよい。感情は平静だった。
 子供を人質にとったことも一概に卑怯と責められまい。
 名君の誉れ高き設楽家の祖さえ、戦国のならい、敵性の武将に対して同じことをやったではないか。
 窓から見える空にはもう星が光っている。

 最上層。
 この稲妻模様の襖の向こう、千年を生きた「彼女」はおわす。
 心中をもう一度照らしてみた。含むところはない。心底から。何一つとして。
 ただし今夜、この身に代えても、刺し違えても、百合だけは無傷で返してもらう。
 五年前の夏、菩提寺の位牌に手を合わせ誓った。聞けば自分より若くして奇禍に逝った二人だった。
 住持の読経の声に、本堂の四方から蝉しぐれが被さる。
 安らかにお眠りください。至らぬ者ながら、私は、今日からこの子の命を、自分の命の上に置きます。
 驚天動地の倒錯は、親子ならばごくありふれたこと。子のためならば親は火の中へでもゆくだろう。
 彩香は襖を開けた。
 正面に垂らされた御簾の表を、月光がさやけく照らしている。
 高麗べりの畳の上を、折敷を捧げ持って膝立ちで前進する。
 長い演し物のラストシーン。長距離走の最後のホームストレート。
 所定の位置まで来たところで、目を伏せたまま、わずかに御簾をあげて折敷を差し入れた。
『神よ、ご照覧あれ』
 断崖へと寄せる波濤のように、耳の中の血流が鳴るのを、彩香は聞いていた。

 一拍の後、それは起こった。
 目の前の御簾の端から、百合が寝返りを打つように転がり出てきたのだ。
『まるで自動販売機…』
 口角があがったのは安堵のためだった。
 抱きとって、額にかかる前髪を払う。目は閉じられているが、呼吸は安らかである。重みが腕に懐かしい。この 子が家に来た頃、よくこうして、眠っているところを抱きあげ、意味もなく鏡の前に立ったりしたものだ。
 その重さだけに心を寄せて、きつく目を閉じた。
「Merci beaucoup Maitresse!」
 第十六代当主の声が、今夜はじめて天守に響いた。


 退出の際、敷居の外で向き直り、百合を抱いたまま指の先で襖をしめる。
 そのとき御簾越しにはっきり何かの気配を感じた。
 彩香は一度だけその奥へ目を凝らす。
 ふいに思い出した。ずっと忘れていたひとつのこと。自分は「彼女」の顔を知っている。それもはるか昔から。拠るところが絵なのか夢なのか想像なのか、思い出せないがとにかく知っている。
 濡羽の黒髪に、みずみずしい雪の肌。月のように冴え輝く面輪の磐縒姫。
 御簾の向こう、紅を乗せた唇が笑ったような気がした。

了                             

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Date:2011/10/17
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* まとめ【磐縒姫(いわよりひめ)】

「武州霞山城の天守に、磐縒姫なるものの棲まう。春秋長じ、性は峻刻狷介、ただ藩侯城主のみ、これに咫尺
2012/11/21 【まっとめBLOG速報

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